日本ボクシング界の歴史
日本のボクシング界では通常、軽量級の選手が活躍しています。しかし、一流のボクサーを輩出してきたことに変わりはありません。1921年、渡辺勇次郎が東京で最初のボクシングジムを設立しました。彼はアメリカでボクサーをしていた経験があり、「4ラウンドキング」として有名でした。
そして1952年に、白井義男がフライ級王座を獲得し、日本人初の世界王者となったことで一躍有名になりました。以来、日本は40人の世界王者を排出しました。最も盛んだった時代は、1960年代から1970年代初頭にかけてです。60年代には、ファイティング原田がバンタム級とフライ級の2つの階級でタイトルを獲得し、高い評価を受けています。
70年代初頭には驚くべきことに、日本には5人の世界王者がいました。3度の世界チャンピオンを獲得した柴田国明、初代ライト級チャンピオンのガッツ石松、日本のボクシング史に大きな影響を与えた輪島功一などがいます。
70年代半ばには、具志堅用高が、新設されたWBAライトフライ級を制覇し、13回の連続防衛を達成して、日本最多防衛記録を樹立しました。そして、渡辺二郎がWTAスーパーフライ級王者となり、9回連続防衛を達成しました。
90年代初頭、辰吉丈一郎は、観客だけでなくプロの間でも人気でした。プロデビュー後わずか8戦でバンタム級のタイトルを獲得しました。この世界タイトル保持までの試合回数は、日本最短記録です。
メディア
白井義男がボクシング界に参入して以来、ボクシング人気に火がつき、日本中で話題沸騰になりました。現在では、毎月5つのテレビ局が、プロボクサーをメインに取り上げるボクシング番組を放送しています。これらのテレビ局は、ボクシングジムと提携しており、番組内でボクシングジムの施設を宣伝しています。
また、ボクシング世界選手権は、たいていこれらのテレビ局で生中継されています。紙媒体のメディアとしては、2つの専門誌があります。『WORLD BOXING (ワールドボクシング)』と『ボクシング・マガジン』です。また、主要な新聞社のスポーツ欄にも、ボクシングの結果が掲載されています。
主催団体
日本ボクシングコミッション(JBC)が事実上の独占をしており、日本ボクシング界を統括しています。JBCが正式な国際組織として認めているのは、WBCとWBAだけです。JBCのライセンスを持つ日本人ボクサーは、WBOやIBFなどの国際組織のタイトルに挑戦することはできません。なお、IBFは日本で二番手のボクシング運営団体であり、ボクシングのイベントを企画・運営しています。
ジム
一般的に、ボクサーは、所属ジムと専属マネジメント契約をすることになっています。ボクサーがライセンスを取得した後、所属ジムを変えることは極めて困難です。ただし、ジム間でボクサーをトレードするケースはあります。
ボクシングジムは、大阪や東京の中心部に多く存在します。これらの都市は、非常に動きが大きいので、ジム間の競争が激しいのです。そのためJBCは「ボクシングジムを開業する者は1000万円を払わなければならない」というルールを導入しました。